「何をしている総子、もっと強く踏むんだ」
「黙れクソ虫」
「ああっ……」
「踏むタイミングは私が決めるから指図しないで」
「そ、その調子だ……っ」
沖田はスーツの背を革靴で踏み躙りながら、そのつま先に力を込めた。猿飛は苦痛ではなく快感に身悶え、四方を囲む男たちが羨ましそうに息を荒げている。
プリーツスカートから伸びる白い脚に集まる視線をものともせず、猿轡の奴隷たちに担がれた神輿の上で堂々と立つセーラー服の花魁。キャバクラでミニスカポリスごっこをしている仲間たちから早々に独立し「Sっ娘倶楽部」で成功を収めた沖田は、今や江戸中のM男が求めてやまない存在となっていた。
「よう総子」
「あれ、“真・夜王”じゃないですか」
「真顔で呼ばれるとちっと恥ずかしいな」
沖田の引き揚げてきたタイミングで店を訪れた男は言葉とは裏腹に恥ずかしげなど欠片も見せることなくがっしりと張った肩を揺らし笑った。百華を束ねる月雄は夜のビジネスで頭角を現して間もないが、吉原のことを知り尽くした人間が満を持してかぶき町に進出したとなると総子の後ろ盾としては十分な存在だった。
「調子はいいようだな」
「チョロイ男ばっかで手応えがないくらいでさァ」
商売用の女言葉から元のしゃべりに切り替え、沖田は両手の平を広げて肩をすくめた。その後ろから猿飛がやってきて月雄といくつか言葉を交わし始める。前髪をきっちりと七対三に分けスーツに身を包んだ元・くノ一はどうやら自分探しの旅に出たという万事屋の消息を尋ねているようだった。沖田は眠い目を擦り夜明けを待つ。
明け方の空を眺め、むさ苦しい男所帯から秘密の花園に変化したかというとそうでもない、そこそこ年のいった女集団の寝床になっている屯所へ帰るべく足を踏み出した沖田に道の端から声がかかった。
「君達の暮らしは何か変わったかい」
猿飛は数刻前まで興奮に肌を上気させていたとは思えないほどすずしげな目でその数歩前から沖田を見遣る。闇を駆け命を刈ってきた猿飛に夜の世界で横たわることはお似合いと言えるのかどうか計りかねたが、彼の瞳はどこか哀愁を帯びている。沖田は勤務時間外にそこを詰って悦ばせるほどのサービス精神は持ち合わせておらず、ただ投げかけられた質問に答える。
「女になったって大して変わんねぇモンだと思ってやすよ」
「武装警察が花を売るようになったのにそう思うのか」
「打ってるのは鞭だけでィ。生まれも育ちも何が変わったってわけじゃねぇ。年だってそのままで、上はうるせぇし、大しては」
沖田がしゃべるのに合わせて動く頬の曲線は年相応の少女の輪郭であどけなささえ放っている。年はそのままといっても男の骨格とは大違いで、同じ人間がこうも小さい生き物に見えるとはと猿飛は少し感心してしまった。
「銀子さんが顔を出したり……」
「それが聞きたかったんですかィ。してやせんよ。アンタなら自力で確認できるでしょ」
「この体だと狭い空間に収まりが悪くてね」
「……男になっても好きなんですかィ」
「君の言葉を借りたなら納得してもらえるだろうか」
「なるほど?」
たしかに性別以外生まれも育ちも年齢も、何が変わったわけでもない。特定の人間を特別視するに至るメカニズムなど沖田の知るところではなかったが、性別の逆転で消え去るものではないのだろう。少なくとも沖田はこの一件を機に興味の対象が変わることはなかった。
「みんな結構馴染んでやすしね、自分の本質が浮き彫りになるっつうか。……近いうちに戻る気ではいやすけど」
沖田は真選組が他の組織に後れを取らずにやっていくためにはそろそろ限界というところまで来ていると感じていた。自分は、自分達は戦場に戻る。新しい日々にいつまでも甘んじるつもりはなかった。
「残りの時間を有意義に過ごさねェとなァ」
ビジネスパートナーである猿飛に向けヒラヒラと手を振り着物の裾をはためかせて帰路を急ぐ沖田は、大きくあくびをしてから今頃夢の中にいるであろう女に思いを巡らす。男女逆転で一番の災難に見舞われたであろう土方の、鋭い眼光をそのままに何倍にもふくらんだ輪郭は今後いくらでもネタにできる。これは歓迎してもいい状況ではあった。
(もう知り尽くしたと思ってたのに)
色つきリップでつやつやと輝く唇が弧を描く。
「また一から暴いて蹂躙できるなんて最高ってもんだろィ」
消えていく煌びやかで不健全なネオンと昇りかけの眩しい朝陽の両方を映し込んで光る沖田の瞳は水のように澄んでいて、空腹の肉食獣のようにギラついてもいた。
昼間見る夢の中で、目覚めた暮れの空の下で、少女はおいしい食事にありつく。どんな部位も余さず口にして堪能しないともったいない。
「腹減ってきたなァ……」
性別が変わっても人間の欲望には際限がない。沖田は自らの薄い腹部を撫でさすり、ごちそうのことを考えながらもう一度大きなあくびをした。
いとしの子豚ちゃん[2016.03.13 HARUペーパー]